歴史

京丹波町指定文化財『秋の大祭(八朔祭)の曳山巡行』は、明治中期にはじまり、笹尾地区の囃子山(囃子屋台)は篠山市日置からヤマを購入し、同時に囃子も習いにいって当地につたえたという。
「波々伯部神社祇園ばやし始り覚」寛延3年(1750年)によれば、日置の波々伯部神社祭礼における山は「ちゃんぎり山」、囃子は「祇園ばやし」という名称になっている。
当地で囃子のことを「祇園囃子」とよぶのは、波々伯部神社の祇園祭り、およびそこでの囃子をかつて「祇園囃子」といっていたことに由来すると言われている。
また、笹尾地区には「ジンジロベエ」の囃子をならってきたという伝承があるが、これは波々伯部の神社の鳥居をくぐる時の曲、および笹尾地区の往路の囃子の原曲が、祇園の流行り歌の<甚次郎兵衛>であることにちなんむものと思われる。

ただ一方で、少なくとも囃子の習得に関しては、全く同じ系統の囃子である。
福住から習得した可能性が高いと言われ、笹尾地区で帰りの曲としてはやしている<トッチンチリガ>は、福住の地区に帰る時の曲と同名同曲であり、口唱歌も共通している。
さらに<橋の囃子>とよぶ、橋をわたる時の太鼓の連打は、福住の橋を通過する時の太鼓の連打と通ずるものがあるからである。